Bianchi ( ビアンキ ) ― 2005/06/16 07:50
だいぶ前に先輩から譲り受けたロードレーサーで、普段は乗らずに部屋に置いてあります。 今まで一度もデジカメで撮影したことが無かったので、14日に撮影したものを掲載します。
Bianchiは、1885年に設立したイタリア最大の自転車メーカーです。 エドアルド・ビアンキがミラノに興した自転車店がコッピ、ジモンティ、パンターニらの活躍とともに大手メーカーに成長。
1940年のジロディイタリアでイタリア国民が予想していた英雄ジーノ・バルタリが敗れ、ジロの最終ステージでマリアローザを着ていたのはBianchiに乗るファースト・コッピでした。 彼はジロとツールに参加した最初のイタリア人。 そしてジロとツールで勝つという偉業を残しました。
56年後同じイタリアのパンターニが果たすまでだれもダブルツールをしたイタリア人は出ていません。 偶然にも、パンターニの駆っていた自転車はBianchiでした。
「チェレステブルー」という淡いエメラルドグリーン(画像の自転車の色)のような色がイメージカラーの老舗メーカーで、レーシングバイクはイタリア国内のレパルトコルサで生産しています。
「チェレステ」というのは、元々は空と言う意味なので、直訳すると「空色の空」になるのですが、エメラルドグリーンと水色の中間みたいな色で、イタリアの空の色を表したとか女性の瞳の色を表したなど、諸説があります。
フレームは今では珍しいクロムモリブデン鋼です。
タイヤは27インチのチューブラーで、Vittoria NUOVO Pro KEVLARです。 前後のタイヤはレバー操作一つで取り外せます。
久しぶりに外に出してみました。
Front componentsは、52-42です。
Rear componentsは、13-14-15-17-19-21です。
スピードメーター、ベル、ボトルホルダー、反射鏡がついた状態で9.5kgでした。
Bianchiは、1885年に設立したイタリア最大の自転車メーカーです。 エドアルド・ビアンキがミラノに興した自転車店がコッピ、ジモンティ、パンターニらの活躍とともに大手メーカーに成長。
1940年のジロディイタリアでイタリア国民が予想していた英雄ジーノ・バルタリが敗れ、ジロの最終ステージでマリアローザを着ていたのはBianchiに乗るファースト・コッピでした。 彼はジロとツールに参加した最初のイタリア人。 そしてジロとツールで勝つという偉業を残しました。
56年後同じイタリアのパンターニが果たすまでだれもダブルツールをしたイタリア人は出ていません。 偶然にも、パンターニの駆っていた自転車はBianchiでした。
「チェレステブルー」という淡いエメラルドグリーン(画像の自転車の色)のような色がイメージカラーの老舗メーカーで、レーシングバイクはイタリア国内のレパルトコルサで生産しています。
「チェレステ」というのは、元々は空と言う意味なので、直訳すると「空色の空」になるのですが、エメラルドグリーンと水色の中間みたいな色で、イタリアの空の色を表したとか女性の瞳の色を表したなど、諸説があります。
フレームは今では珍しいクロムモリブデン鋼です。
タイヤは27インチのチューブラーで、Vittoria NUOVO Pro KEVLARです。 前後のタイヤはレバー操作一つで取り外せます。
久しぶりに外に出してみました。
Front componentsは、52-42です。
Rear componentsは、13-14-15-17-19-21です。
スピードメーター、ベル、ボトルホルダー、反射鏡がついた状態で9.5kgでした。
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